ハセツネ 無事完走!
いよいよ第20回長谷川恒男CUPの当日。
この大会、1993年に第1回が開催されて今回で20回目となる。
長谷川恒男氏は単独登攀を中心の世界の山で活躍していた人であり、トレイルランの選手ではない。尤もその頃はトレイルランなどという言葉自体は世間では使われておらず、一部の人がカモシカ山行などという言葉使って山を走っていた記事などがたまに掲載されていたぐらいであった。
長谷川恒男=トレイルランというのはちょっと結びつかないが、彼の山の哲学とも言うべき思想が大会運営に反映されていることは事実で、参加者にも相当な厳しさを要求される大会でもある。
71.5キロのコースの累積標高が登り、下りとも4000mを超え、サポートは1箇所のみ(水1.5l)
夜間~深夜の行動が多い。頼れるのは自分だけという部分が極めて多い大会でもある。またボランティアにもかなり厳しい業務が待ち受けているのも今回初めて知ることができた。
今回は夜勤を終えたあとの参加のため
2晩連続の徹夜という強行参加ということになる
職場の行事が重なり、下手をするとキャンセルということにもなりかねなかったので、半ば強引に夜勤にしてもらった。
急患や急変がなかったことを幸いに、職場を9時に飛び出す。
武蔵五日市の11時半に到着。12字の受付になんとか間に合った。ホッとしてなんか第1関門を通過したという感じ。
会場で昨日から泊り込みボランティアで参加されているJIFUさんに出会う。今回はエントリーされたのだが体調不良のため、急遽ボランティアを申し込んだという。自分が同じ立場だったら・・と考えると、本当に頭が下がる。ありがとうございます。
着替えをしたあと、ガンセキオープンさんやmaruさんと初顔合わせの挨拶を交わす。
JIFUさんがプラカードを持って会場で待機していたので気まぐれさんと記念撮影。
装備は水分は2.5リットル、オニギリ2個と行動食、防寒衣を含め今回は5kg
スタートは13時。2000人が一斉にコースに入るので1キロ地点くらいから大渋滞。1キロ進むのに20分以上かかる。一旦は流れるが山中に入っても断続的に続く。そのため7キロ地点の入山峠まで1時間半程かかる。
入山峠からは少しづつ流れるが、ここから先は激しいアップダウンが頻繁に現れる。しかし調子は良くあまり疲労感は感じられない。
第1関門の浅間峠(22.6キロ地点)には17時53分到着。ここまで4時間53分。良いペースである。
軽く食事をして、ここから先の夜間登山に備える。
だいぶ冷え込んできた。
ライトは十分に明るく、足元をしっかり照らしてくれたが、やはり至るところでつまずき、体力消耗に拍車がかかる。できるだけ休憩の回数を少なくしながら、今回の最高峰の三頭山には21時20分位に到着。ここでやっと半分。
後半の18キロ近い長い下りに備えなくてはいけないが、かなり足に来ていて、鞘口峠先の登りでは両大腿部に痙攣が起こりしばらく行動不能に。この状態が続くと棄権せざるを得ないか・・と思ったりもしたがストレッチでおさまり事なきを得る。しかしその後も何度かこの痙攣に苦しめられることに。
第2関門(42キロ地点)の月夜見駐車場には23時到着。ここで水かポカリ1.5リットルの補給を受けられる。今回は行動中口渇が強く。既に2.5リットルの容器は空に。
23時15分。御前山に向かって出発。
この時点で上りだけの累計はおそらく2500mを超えていることもあり(下りも同じ)、いよいよ疲労がピークに。不思議と眠気はなかったが、体全体が重い布をまとっているよう。
頭もボートしている上、ライトで照らされている樹林が鳥居や建物に見えてしまうという幻覚のような症状が、山で疲労の極に達するとよくあることだ。川のせせらぎが人の囁きに聞こえてしまうこともある。登っていてふと後ろを振り向くと多数のヘッドライトが、すごい勢いで襲いかかってくるように見えてしまい、ちょっとぞっとしてしまう。
ここから惣岳山~御前山にかけての登りは、試走の時はスイスイ行けたのに、今回は拷問のようにきつく感じられ、この時が最も辛かった。
御前山には0時40分に到着。
そしてここからが大タワまで標高差400mの急降下。膝の方はまだ大丈夫であったので、なんとかフラフラになりながらも、たどり着くことができた。かなり冷え込んでいたが、半袖Tシャツ1枚で大の字で寝転がっている若者・・強いな~。
ここから大岳山までの標高差250mの登り。先程の御前山ほどはきつくなかったが山頂直下の急な岩場でまたもや両大腿部が痙攣。これはたまらんと立ち止まり後続の人に道を譲る。これで現れ始めた眠気が吹っ飛んだ。
苦しみながら大岳山には午前2時50分位到着。寒い。あとの18キロはほとんど下りなので順調に行けば3時間程度。16時間台も可能では・・というのは思うだけ。この状況では最後の長い金比羅尾根を走り続ける自信はない。走って降りるには誠に快適な尾根なのだが。今回は前半押さえて、ここから先快調に下るというつもりでいたのに、すっかり逆になってしまった。
重い腰を上げ、大岳山の急降下、コースの途中で役員の人が、なにやら大きな声で谷側に向かって叫んでいる。聞くと先ほどこの辺で崖下に滑落した人がいるという情報が入ったという。昼間ならちょっと注意すれば快適な道も、暗くなると危険地帯に変貌する。ハセツネのコースにはそんな道も多々ある。数年前にも御前山の手前で滑落死した人がいる。
御岳山近くになると快適に走れる道になるのに、キロ10分程度のスローペースしか出せない。膝が痛むわけでもなく、今回は靴ずれもなかったが
全身の疲労倦怠感が強く、気力も根性も引き出せずじまい。依然口渇が強いので、綾広の滝付近の水場で水分補給。この水が実にうまく少し元気になった。
第3関門の長尾平の通過は4時15分とすっかり遅れてしまう。御岳神社の参道にも地元の人の応援が。こんな深夜早朝に有難いことだ。
最後の階段を気合で登りきり、最後のピーク日の出山には4時50分到着。都心方面の空が少し白みかけている。頭の中もほぼ真っ白な状況。
そして最後の10キロの金毘羅尾根の長い下り。
少しでも走ろうと努めるも長くは続かず。その脇を快速特急のような速さで駆け抜けていく若者・・だけでなくかなり年配の御婦人も・・!
自分の不甲斐なさにガックリする。
でも陽が昇り明るくなっていくうちに、気力が蘇り、少しづつだがペースを上げていく。膝はどうにか持ってくれていたので、最後のアスファルトの急降下は、見栄と意地だけで突っ走る。ここでガーミンのバッテリー切れ。ちょっとテンションが下がる。
しかしゴール直前に今回役員として頑張ってくださったJIFUさんの声援!涙が出るほど嬉しかった
タイムは17時間32分。総合順位は1088位。
今までの中で最も苦しいレースであったが、無事完走できてよかった(反省はてんこ盛りだが)
トレランもそうだが,やはり山は下りがきちんと出来て初めて1人前なんだと改めて感じることができた。いつかレースとしてではなく、またこのコースを一通りたどってみよう。
5月の野辺山ウルトラ、6月の忍野トレイル、7月のおんたけウルトラトレイル、そして今回のハセツネと4大会無事に完走することができ感謝。
そしてマラソンシーズンの開始。早くモードを切り替えていかないといけない。