城山のカキ氷は最高♪

たち

性別
年齢49歳
身長168.0cm

本格的に走り始めたのは2009年2月です。
なんでこんなに嵌ったのかは不明。

2011年11月の大田原でなんとかサブスリーの末席入り。
でも、もう少し欲出して、50分切りを目指して精進します。

NIKE+を愛用していましたが、走り方によって距離の誤差が激しいので悩んでいました。

今後の予定

自己ベスト

青天の霹靂

朝、岩屋君から電話
一生が急変して重篤
青天の霹靂
午前中に仕事をやっつけて先ずは容態の確認をしなければ
14時半、病院到着。昼飯を逃していたので売店でアンパン購入。
入院病棟の18階の談話室でアンパンを飲み込む。
かんちゃんが合流していざ病室へ
暗がりにお袋さんが立っていて、ご挨拶するも俺を認識してくれない。
看護師さんがお着替えをさせてくれているというので、
一旦病室を後にしてかんちゃんと談話室で時間をつぶす。
中久喜から電話。こっちに向かっているという。
看護師さんが着替えの終わりを教えてくれた。
容態をヒヤリングするも話せないという。
なんだよな、個人情報保護なんてまっぴらだ…
病室に入り改めてお袋さんにご挨拶、
漸く俺が立川で、かんちゃんだと分かってくれた。
それからは細々と容態を教えてくれるも、
老人の理解はやはりどこか???である。
兎も角、癌が脳に廻ってしまったことだけは理解。
そして治療がもう出来ないという事も伝わった。
酸素マスクを一生が何度も引き剥がしてしまう。
意識がないといっても無理に眠らせている状態。
時折くる痛みに耐えきれないのか…
点滴からアラームが鳴る。ナースコールを押す。
看護師さんが次々に現れ3人で点滴の確認をしている。
一生がうめき声をあげる。
一生が起き上がってしまう。
お袋さんがなだめて寝かせる。
でもまた起き上がってしまう。今度は中々寝ない。
目をパッと見開いて何かを探そうとしているのか。
俺と神田は一言も発することは出来なかった。
視界の中にすら入ることが出来なかった。
暫くすると漸くなだめに応じて寝てくれた。
鎮静剤の点滴の量を少し増やしたようで安静になったのか。
落ち着いたので看護師が病室を去った。
中久喜が漸く到着。「いっせい」声を掛ける。
勿論応じることは無かった。
中久喜にも状況を説明し病院を後にした。

新橋で居酒屋に。
3人で軽く飲むつもりであった。
ふと、俺が会長を思い出して、
数年ぶりに音信不通の携帯を鳴らす。
この十年くらい一度も出てくれなかった携帯電話のツーコール目。
「もしもし清水です」
マジかよ。おれは「立川だけど分かるよね?」
「もちろん分かるよ」
久しぶりに会長の声が聞けた。

あんなに何度も電話を掛けたのに、誰の電話にも出なかった奴が…

虫の知らせなのかな、たまたまなのか
おれは会長との久しぶりの電話に泣きじゃくってしまった。


その後、岩屋と岩崎君も合流して
ちょいと一杯が、かなりへべれけになってしまった…

コメント