目指せ!遥かなるBoston

SC93Trojan

性別
年齢50歳
身長173.0cm

タイムも頭打ちなので、これからはBoston MarathonのQualifying Timeを維持することを目標としたいと思います。
50~54歳 3時間30分
55~59歳 3時間40分
60~64歳 3時間55分
65~69歳 4時間10分
70~74歳 4時間25分
75~79歳 4時間40分
80歳以上 4時間55分

今後の予定

自己ベスト

117th Boston Marathon

Official(Net) 3:27:31

5km 23:27(4:41/km)

10km 23:09(4:38/km)

15km 23:39(4:44/km)

20km 24:43(4:57/km)

25km 24:05(4:49/km)

30km 25:01(5:00/km)

35km 26:15(5:15/km)

40km 25:55(5:11/km)

42.195km 11:17(5:08/km)

1st Half 1:40:09

2nd Half 1:47:22

フィニッシュ後に衝撃的な事件が起きましたが、何はともあれずっと目標としていたボストンマラソンを無事完走することができました。長時間のフライトと時差ボケの影響で最初から脚が疲れていて後半の坂で頑張る力が残っておらず、タイムは良くありませんでしたが、ボストンマラソンの魅力を存分に感じながら走ることが出来て幸せでした。今回は悲しい事件がありましたが、ボストンマラソンは本当に素晴らしい大会で、いつの日かまた走りたいと強く思いました。以下、当日の様子です。

朝は5:00起床。日本から持ってきたカップめんのうどんと、電子レンジで温めて食べる白米を味付けのりにしょうゆを少したらして食べました。日本人ですねぇ、もう白米が美味しくてたまらんです!

6:00過ぎにホテルを出てスタート地点に行くバスが出るボストンコモンへ。1時間ほどバスに揺られてスタート地点のHopkintonに到着。Athletes' Villageという会場には飲み物やベーグル、Power Barといったものが用意されていて取り放題。私もPower Barは食べましたが、日本人たるもの、やはり持って行ったみたらし団子と大福で最後のエネルギー補給。

当日の天候は晴れ、気温は最低気温5℃、最高気温15℃の完璧な気候で、Tシャツ、短パンのみで行くことにして荷物を預けました。

Athletes' Villageからスタート地点までは7~800mあり、9:40頃にスタート地点に移動。ボストンマラソンは3つのWaveに分かれてのスタートで、最初のElite RunnerとWave1が10:00スタート、Wave2が10:20スタート、Wave3が10:40スタート。各Waveは9つのブロック(Corral)に分かれて整列。私はぎりぎりWave1のCorral9でした。Wave1のいいところはスタート前の国歌斉唱があることでしょうか。スタートの12分前に国歌斉唱があり、一緒に歌いました。アメリカで6年間生活したこともあり、アメリカ国歌でも「God Bless America」でもちゃんと歌えます。「ボストンマラソンでアメリカ国歌を歌う」というのも一つの夢でしたので、歌い終わった時にはジーンときてしまいました。

さていよいよ10:00にスタート。スタートラインを超えるのに5:30ほどかかりましたが、ボストンマラソンはネットタイムがOfficialになります。スタート地点付近の沿道の観衆はかなりな数で、これが大声をあげて応援してくれるので「ウォーッ」というものすごい声援で、もう最初から「ああ、とうとう来たんだ。来てよかった・・・」と感動してウルウル。(しかしこのすごい声援がこの後に何度も続き、その感動でメロメロになってしまいます・・・。)

スタート後はいきなり結構急な下りが続きます。長旅の疲れや時差で脚や体が疲れているのは明白で、土曜・日曜で一生懸命ストレッチしたり軽く走ったりして時差を克服すべく努力しましたが、もう走りだしから「ああ、この脚ではとてもじゃないけどダメだなぁ~」と思いながら下って行きます。

もうタイムにはこだわらずに最後まで脚が持つように軽く走れるペースで走り続けます。町から町へ移る毎に熱心な応援があり、途中たくさんの私設エイドで子供たちが一生懸命に水やオレンジを差しだしてくれます。沿道の風景はまさしく「古き良きアメリカ」そのもので、本当に美しい・・・。

20km手前でものすごい声援が聞こえてきます。ちょっとこれまでとは違うボリューム。Wellesley Collegeの"Kiss me"のところです。女子大生がランナーとキスする数を競っているらしく、それぞれに「私は~出身です」とか書いた紙をもってランナーを引きずり込もうとします。「私は日本人です」という人がいればハイタッチぐらいはしようかと思いましたがそういう方は見つからず、臆病者の私はニコニコ笑いながら通り過ぎました。(ということで。)

さて、25kmあたりから下り坂となり、それが終わると28kmぐらいからいよいよ4の大きな坂が始まりますもう坂をこれまでと同じペースで走る脚力は残っていません。それでも「このために峠走をやってきたんだろう!」と気合を入れ、歩いたり止まったりすることなく4つの坂を上り切りました。最後のHeartbreak Hill(心臓破りの丘)を上りきった時には思わずガッツポーズ!

そこからの残りは5kmぐらい下って最後の3kmぐらいは平坦になります。Heatbreak Hillの後のBoston Collegeの前でも学生達がパワフル応援してくれます。このあたりからだんだんと市街地に入ってきて沿道観衆切れ目なく続き、歩いたりるランナーいようものなら容赦ない(?)応援の集中攻撃あるので歩くことは許されない雰囲気です。だんだんとスポンサーのJohn Hancock Towerが近づいてきてフィニッシュラインが近いことを教えてくれます最後あの爆発起こったBoylston Streetに入ってゴールまで一直線まさかその30後ぐらいに悲劇起こるとは想像だにせず、目標だったボストンマラソンを完走した満足感とともにフィニッシュラインを超えました。Official timeは3時間27分31秒。自己ベストの3時間13、この前の東京マラソンの3時間15分を下回るのはやむを得ないとしても、故障明けの別大の3時間24分にも届きませんでした。それでも海外遠征の難しさやこのコースの厳しさを考えれば自分としては精一杯の力を出せて満足のレースです。レースを終えて首にメダルをかけてもらった時にはメダルをしげしげと眺め、思わずウルッとしてしまいました。その後荷物を受け取ってすぐにホテル戻りました

ホテルに戻ってシャワーを浴びちょっと休憩してから近くセブンイレブンに飲み物食料買いに行ったらホテルロビーランナーたくさんいたのでその時「みんな帰らないのかな?」とチラリ思った程度なのですが、部屋に戻ってツアーで参加して別のホテルに泊まっている会社後輩夕食の相談しようとしたら「大変なことになっている」とのことで、あわててテレビつけて爆破事件あったことを知った次第です。この文章書いている時点で既に犯人は逮捕されたとのことでホッとしました。今回のボストンマラソンこんな悲惨な事件が起きてしまって大変残念ですが、たぶん組織的な犯行ではなかったということで他のマラソン大会や来年以降のボストンマラソンの開催が危ぶまれるような状況にはならないと思われ一安心です。

ずっと目標にしてきたボストンマラソンが終わりました。今回の惨事を除いてボストンマラソンは噂通りの素晴らしい大会でした。こんな素晴らしい経験をさせてもらえたのも家族や職場の理解があったからだし、参加できる記録を出すことが出来たのはブログの仲間と励まし合いながら切磋琢磨できたからで、みなさんに感謝の気持ちで一杯です。そして是非いつの日かまたボストンで走りたいと思います。また来年走ればいいじゃないかって?いや、来年はシカゴあたりを走れないかなと・・・。

コメント

ボストンコモンからスクールバスに乗ってスタート地点のHopkintonへ。

ボストンコモンからスクールバスに乗ってスタート地点のHopkintonへ。

HopkintonのAthletes' Village

HopkintonのAthletes' Village

やはり最後のエネルギー補給はこれでしょう。

やはり最後のエネルギー補給はこれでしょう。

たぶんHeatbreak Hillを上っているところだと思います。道路にチョークで激励の言葉が書いてあったりする。

たぶんHeatbreak Hillを上っているところだと思います。道路にチョークで激励の言葉が書いてあったりする。

ゴール直前の爆破があったあたりです。まさか30分ほど後にあんなことになろうとは。

ゴール直前の爆破があったあたりです。まさか30分ほど後にあんなことになろうとは。

メダルは昨年のよりも50%大きいそうで、ハリーさん、きょんこさん、kazooさんすんません(?)。マントみたいなのはゴール後にもらう保温用の身体に巻くもの。

メダルは昨年のよりも50%大きいそうで、ハリーさん、きょんこさん、kazooさんすんません(?)。マントみたいなのはゴール後にもらう保温用の身体に巻くもの。

当たり前ですが、爆破翌日のBoylston Streetは封鎖されていました。その後、犯人が逮捕されて安心しました。

当たり前ですが、爆破翌日のBoylston Streetは封鎖されていました。その後、犯人が逮捕されて安心しました。